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ワインとキリスト教

メリークリスマス[るんるん]

レストラン彩にディナーにお出で下さる方々を見ていると、ワインが、お食事の引き立て役にとどまらず、その場の雰囲気の盛り上げ役になったり、楽しい話のきっかけになっていたり・・・ワインとの関わり方について、つくづく考えさせられてしまいました。
普段、責任だったり、使命だったり、頑なに造りに携わっているような気がするのですが、「おいしい」と笑顔で言ってもらえたら、何だか本当はそれでいいような気がします。

大切な日に、グレイスワインを選んでくださった皆様、ありがとうございます[ぴかぴか(新しい)]


クリスマスということで、今日は、キリスト教ネタです(笑)。
実は、私の大学の専攻は、宗教哲学です。なかでも神秘主義を専門にしていました。
将来ビオデナミを行うとしたら、この勉強は間違いなくいきることでしょう(笑)

高校を卒業するまでは、理系のクラスにいました。
なんだか全く分野外の宗教哲学を専攻するにいたったのは、ひょんなことからキリスト教への興味を持ったからでした。

ワインとキリスト教については、よく文化的に討論されていますよね!!

最後の晩餐で、イエスが、ワインをその血に喩えられたという有名な話があり、ブルゴーニュの銘醸地は修道僧から発し、かのドン・ペリニョンが修道僧だったことも、周知の事実です。

聖書にも、ワインの記述は出てくるのですが、あまり良い話はなかったように記憶しています。(ワインを飲んで、酔っ払って狂乱して事件を起したとか、そういうイメージが強いです[たらーっ(汗)]

個人的に、ワインがらみで特に印象に残っているのは、むしろギリシア神話で、お酒の神「バッカス」にまつわるお話です(バッカスはただのお酒の神様ではなく、豊穣(大地の植物?)の神様として考えられます)。

バッカスは、ギリシア名を「ディオニュソス」と言います。
誕生秘話など、ディオニュソスにはまつわる話がたくさん伝えられています。

その後、ディオニュソスの瞬間的で感覚的な陶酔(酔っ払って楽しくていいじゃんという感じの流れに思えます笑)は、ニヒリズムで知られるニーチェによって、理性的で知的なアポロンと対照とされたことも、有名です。

そして、ニーチェが推奨したのは、ギリシア芸術においてディオニュソス的なあり方でした。

宗教の中で、垣間見られるのは、報酬を求めてしまい、真理である救いや道理をいつの間にか忘れてしまうことだと思っています。

私は、ニーチェが絶対的に神を否定したと言うよりは、物事の真理を追い求めていった結果にすぎないと考えています。

そう考えると、キリスト降誕と知られるクリスマスですが、何よりも、重きをおかなくてはいけないのは、キリストが、馬小屋の中で、貧しく生まれたことかもしれませんね(私は、キリスト教徒でもないのですが笑)。。


大学時代から、少しづつ科学に転向して言った私が偉そうに言えることでもないのですが、今思うと、宗教も科学も真理を追及していくものとして同じかも・・・しれません。

造り手も、美味しいという笑顔が、一番の真実ということでしょうか[かわいい]























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